これは、ある会社の社長と技術士の、架空の会話です。
技術士「社長、社員がまた辞めます」
社長「……またか」
社長は、深いため息をついた。
社長「今度は誰です?」
技術士「○○君です」
社長「あの○○君が?」
技術士「はい」
社長「それは困ったな……。あの人には、これからも頑張ってもらいたいと思っていたんですが」
技術士「退職理由は聞きましたか?」
社長「聞きましたよ」
技術士「何と?」
社長「『新しいことに挑戦したい』そうです」
技術士「本当の理由だと思いますか?」
社長は少し黙った。
退職理由だけを聞いても、本当のことは分からない
社員が辞める。
すると会社は、退職理由を確認します。
「キャリアアップしたい」
「家庭の事情です」
「他にやりたい仕事が見つかりました」
もちろん、それが本当の理由かもしれません。
でも、退職する人が会社を辞めようと思った瞬間は、退職届を出した日ではないかもしれません。
そのずっと前から、
「ここにいても仕方がない」
「何を言っても変わらない」
「相談しても無駄だ」
そんな気持ちになっていた可能性もあります。
技術士「社長、最近、○○君の様子はどうでした?」
社長「そう言われると……」
社長は少し考えた。
社長「以前は会議でよく発言していたんですが、最近はあまり話さなくなりましたね」
技術士「相談には来ていましたか?」
社長「……そういえば、最近は来ていないですね」
技術士「そこです」
社長「そこ?」
技術士「退職届が出てから考えるのではなく、その前に何か変化がなかったかを見るんです」
「言わない」のではなく、「言わなくなった」のかもしれない
社員が何も言わないとき、
「うちの社員は積極性がない」
「最近の若い人は、自分から意見を言わない」
そう考えることがあります。
でも、少し考えてみてください。
入社したばかりの頃は、いろいろ質問していた社員が、いつの間にか質問しなくなった。
会議で意見を言っていた社員が、最近は黙っている。
以前は「ちょっと相談があります」と来ていた社員が、来なくなった。
これは、
その人が変わったのでしょうか。
それとも、
「言わないほうがいい」と学習したのでしょうか。
「何かあったら言ってくれ」は、本当に機能しているか
社長「でも私は、社員にいつも言っていますよ」
社長「何かあったら、遠慮なく言ってくれ、と」
技術士「それは大切なことですね」
社長「でしょう?」
技術士「では、社員が問題を報告してきたとき、社長は最初に何と言っていますか?」
社長「え?」
技術士「例えば、
『社長、実はトラブルが起きています』
と社員が報告してきたとします」
社長「はい」
技術士「そのとき、
『なんでもっと早く言わなかったんだ!』
と言っていませんか?」
社長「……」
技術士「あるいは、
『だから、最初からちゃんとやれと言っただろう』
と言っていませんか?」
社長は苦笑した。
社長「……言ったことがあります」
技術士「多くの会社で起こることです」
社長「でも、問題が起きたら注意するのは当然でしょう」
技術士「もちろんです。問題を放置していい、という話ではありません」
社長「ですよね」
技術士「ただ、その最初の一言によって、次に問題が起きたときに社員がどうするかが変わる可能性があります」
社長「……」
技術士「『また怒られるから、もう少し黙っておこう』となったら、問題は社長から見えなくなります」
心理的安全性は「何を言っても許される」ことではない
ここで、最近よく聞く言葉が出てきます。
心理的安全性です。
社長「心理的安全性って、社員に優しくしましょうという話ですか?」
技術士「そう思われがちですが、少し違います」
心理的安全性とは、
対人関係上のリスクを過度に恐れることなく、質問したり、意見を言ったり、失敗や問題を報告したりできる状態のことです。
何を言っても許される。
失敗しても叱られない。
責任を問われない。
そんな職場を作ろうという話ではありません。
むしろ、会社にとって重要なのは逆です。
問題を早く見つけるために、言える状態をつくる。
「実は困っています」
「このやり方では危ないと思います」
「失敗しました」
「お客様からこんなことを言われました」
こうした話が早く出てくれば、会社は早く対応できます。
「社員が何も言わない」は、問題がないということではない
社長「なるほど……」
社長は腕を組んだ。
社長「そう考えると、社員から問題が上がってこないことを、『うまくいっている』と思ってはいけないんですね」
技術士「そうなんです」
社長「むしろ、見えていないだけかもしれない」
技術士「その可能性はあります」
社長「でも、どうすればいいんでしょう?」
技術士「まず、社員の話を聞いたときの自分の反応を、一度振り返ってみてください」
社長「反応?」
技術士「問題を聞いた瞬間に、原因を追及していませんか?」
社長「……しますね」
技術士「正しい答えを教えようとしていませんか?」
社長「それもあります」
技術士「それから、すぐに解決策を出していませんか?」
社長「……全部やっています(笑)」
技術士「社長としては、早く問題を解決したいですからね(笑)」
最初の一言を変えてみる
社長「では、どうすれば?」
技術士「簡単なところから始めてみませんか」
社長「何を?」
技術士「社員が何か問題を話してきたら、まず一言、
『話してくれてありがとう』
と言ってみるんです」
社長「それだけ?」
技術士「それだけで全部が変わるわけではありません」
社長「ですよね」
技術士「でも、その一言のあとに、
『それで、何があったの?』
と聞く」
社長「なるほど」
技術士「原因を追及する前に、まず事実を聞くんです」
社長「確かに、私はすぐ『なぜ?』と聞いてしまいます」
技術士「『なぜ?』が必要な場面もあります。ただ、最初から『なぜそんなことをした?』と言われたら、次から報告すること自体をためらう人もいるでしょう」
社長「……」
技術士「問題を早く発見したいのであれば、問題を持ってきた人を、最初から追い詰めないことです」
会社を変えるのは、大きな制度だけではない
心理的安全性という言葉を聞くと、
「研修をしなければ」
「制度を作らなければ」
「1on1を導入しなければ」
と考えてしまうかもしれません。
もちろん、制度や仕組みが必要な場合もあります。
でも、その前に考えてみたいことがあります。
社員が何かを言ったとき、会社はどう反応しているでしょうか。
会議で意見が出たとき。
失敗の報告があったとき。
改善提案が出たとき。
「そんなことを言っても無理だ」
「前にもやったけどダメだった」
「それは君の仕事でしょう」
そんな反応を繰り返していないでしょうか。
逆に、
「なるほど」
「そう考えたんだね」
「話してくれてありがとう」
と受け止めるだけで、次の会話が生まれることがあります。
社員が辞める前に、できることがあるかもしれない
社員が退職してから、
「なぜ辞めたんだろう」
と考える。
それも必要です。
でも、本当はその前にできることがあるかもしれません。
最近、会議で発言しなくなった人はいないか。
以前より相談に来なくなった人はいないか。
「どうせ言っても無駄」と言っている人はいないか。
そして何より、
「何も問題ありません」と言う社員が、本当に何も問題を抱えていないのか。
一度、考えてみてほしいのです。
社員が辞めてから原因を探すのではなく、
社員が「もう言わなくていい」と思う前に、話を聞く。
それだけでも、会社の見え方は変わるかもしれません。
技術士「社長、次に社員と話すとき、少しだけ聞き方を変えてみませんか?」
社長「どう聞けばいいですか?」
技術士「『何か問題はない?』ではなく、
『最近、仕事をしていて、ちょっと気になっていることはない?』
と聞いてみるんです」
社長「……それなら、少し話しやすいかもしれませんね」
技術士「そして、もし何か話してくれたら」
社長「はい」
技術士「まず、
『話してくれてありがとう』
です」
社長は少し笑って、うなずいた。
社長「やってみますよ」
次回
社員が安心して話せるようになった。
でも、それだけで会社は変わるのでしょうか。
人は、安心して働けるだけで、本当に力を発揮するのでしょうか。
次回は、もう一歩先を考えてみます。
「社長、社員は何のために働いているんでしょう?」

